彼が少女に出会ったのは確か新緑の時期だった。
教会に隣接する森に抱かれた森の瑞々しい青葉の梢が心地好く耳に聞こえて来たことを覚えている。
地面に立つ十字架が今日もまた一つ増えた。人が死ぬのは不変の真理だが、このまま続けば地上には十字架が溢れかえるのだろうかと彼は此処に来る度に思う。
真新しい十字架を取り囲んだ人々の嗚咽が彼の心地好かった音を掻き消す。死者の名を呼んでも、死者は戻らないと分かっているはずなのに喪った人々は哀しみに暮れる。人が死に地面に埋められてゆく様を聖職者になって何度も見て来た為か、同じ場所に居るのにいつも一人だけ切り離されたように感じる。神の元に魂が安らかに逝くよう祈っても、その空気に溶け込めない彼は傍観者だった。自身の役目は終えたのだから立ち去っても良いかと思い始めた頃、ある少女が彼の目に止まった。
「朔ちゃん」と大人達に背中を押され、戸惑いながらも墓の前に突き出された彼よりも若い少女の手には弔いの花輪がある。それは平素と変わらぬ光景であったが、彼が目を止めたのは少女が哀しみの象徴とも言うべき涙を流していなかったことだ。涙せず背中を真っ直ぐに伸ばした少女が墓を見る。墓に注ぐ視線からは感情を読みとることは出来ない。墓の前に佇むだけの少女に人が花を手向けるように促す。それを聞いても少女は微動だにしない。誰かが少女の名を呼ぶ。
「出来ません」
少女は近くにいた人に花輪を押し付けるようにして、機敏にその場から駆け出した。離れてゆく背中を人々は唖然と見送って、やがて何事もなかったように再び嗚咽が聞こえ始める。
「あの子は誰ですか?」
彼は隣に立つ初老の男性に尋ねると、男性は被っていた帽子を脱いだ。時折目頭を押さえて男性は哀しみに耐えている風に見える。その口からゆっくりと語られる事項をやがて咀嚼した彼は天を仰いだ。
2010/07/06