「まあ、間に合うかな」
向うバス停は車通りの少ない道路の前にある。もちろん、周辺に人なんて通りやしない。おまけに街頭は今歩いている道の街灯と同様で暗い。もう少し町役場は整備してくれないだろうか。
「…あ」
視線の先、街灯に照り出されたバス停の前に誰かの姿が蠢く。顔なんて見えない。でもそれが誰だか分かる私はそう思いつつも駆け出した。
「――!」
大きく名前を呼べば、人影は ――彼はそれに返すように自転車のベルを鳴らす。
「…お疲れ」
ようやく彼の目の前に来て、彼の顔がうっすらと分かる。このバス停の前の道路を車が多く通れば少しは明るくなるだろうなあとくだらないことを思う。
「今日も来てくれたんだ…終わる時間なんて分からなったでしょう?」
習い事が終わる時刻は日々、異なるのに彼は毎週毎週こうやって自転車に乗ってバス停の前で私を待っていてくれる。
「俺が好きでやっているからいい」
そう言った彼は横に顔を背けた。嗚呼、おしい。ここが明るい場所ならば、照れる彼の表情が見れたのに。横に顔を背けるのは紛れもなく照れたときの癖で、私はこの表情を見るのが好き。
「…ありがとう」
お礼を言うと、くしゃくしゃと頭を撫でられた。彼がこうやって来てくれるお陰で、私はこの人気もなく暗いバス停でも怖くない。大和撫子から遠い私にこんな存在がいること自体、間違いである気がしてならない。
「ねえ、明後日の約束忘れないでね」
「俺はお前みたいに忘れっぽくねえから平気」
「忘れっぽくなんかないっ!」
「先週、家に課題を忘れて俺のを写させたのは誰だったっけ?あとその前も…」
「…う…っ、もういい!」
「たく…いじけるなよ。あ。おい、来たぞ」
彼が振り返ると、その先からバスがこちらにのろのろと向かってきていた。
「気をつけて帰れよ」
「うん、そっちもね」
彼の家は同じ地元でも此処から遠い。バスはバス停に止まり、私は数人しか乗っていないバスに乗った。席に座り窓を覗くと、彼がこっちを見て何か言っている。暗くて口元の動きがはっきりと分からないのに、何を言っているのか理解出来るなんて自惚れすぎだろうか。そう思っている間にも彼はパクパクと口元を動かしている。
「ぷっ。金魚みたい…」
やがてバスは発車して彼の姿は見えなくなった。腕時計の時刻を見れば、彼と居たのはたった五分だったらしい。脳裏でたった今のことを思い出しながら苦笑しながら、呟いた。
「…ばあか」
今度、会うときは太陽の下で会いましょう。 そして長い時間を共にしましょう。
fin.