確かに君は此処に居た


3.指輪は真実を語る

いつもは首に掛けている指輪をじっと見つめる伽夜を保健医の草場先生は不思議そうに見ている。伽夜は保健委員である。保健委員は昼休み、放課後に保健室にいなければならない。それは怪我人病人の世話はもちろん、各月に配布される保健室便りの制作、保健室の掲示物の制作などの仕事があるためだ。学年ごとにローテーションされ、さらにクラスで回される。今日は伽夜がいるクラスが昼休み担当だった。

「古嶋さん、大久保は?」
「知らないですよ」

 大久保愁おおくぼしゅうとは保健委員の男子だ。この学校の生徒は中等部から持ち上がって入学した一貫生と高校受験で入学した一般生で構成されている。大久保はその後者であり、三年になって初めてクラスメイトになり、委員になって以来、一度も話したことがないという関係性が非常に薄い間柄だ。それはそもそも、大久保が来ないことや話す機会がないから、とも言える。

「クラスメイトなんでしょう?」
「クラスメイトでも関わらないんですよ」
「そういうものなのかしら」

草場先生には理解出来ないことらしい。それは半分は伽夜にも理由があることは分かっている。そもそも伽夜は男子とあまり会話を自らしない。親しい子とだけ付き合うという限定された付き合いゆえに関わりを持たない。けれど、それでいいと伽夜は思っている。

「……?……ああっ!」
「…どうしたの?」

仕事がなく退屈な伽夜はチェーンから指輪を外して観察していた。何気なく、指先で指輪の内側を触れていると凹凸があるのに気付くと声をあげた。その声に多少なりとも驚いた草場先生は、仕事をこなす手を止めた。

「あら、それ可愛いわね」
「先生、これ中に何か刻んでありません?」
「うん?どれ、どれ」

席から立ち上がって草場先生は伽夜から指輪を受け取るとそれの内側にペンライトの光を当て、目を細めて見る。

「あー書いてあるわね。Akira to Kayaって…ほら」

返された指輪にペンライトを借りて光を当ててみれば、指輪の内側に先生の言うとおり、小さく「Akira to Kaya」と刻んであった。

「それって立派な婚約指輪ね。あきらくんって古嶋さんの彼氏?」
「婚約指輪?この指輪が、ですか」

この指輪が婚約指輪―…・。そんな事は伽夜にとって初耳だった。草場先生は自分の愛用の席に座ると、珈琲入りのマグカップに口をつけながら言う。

「だって『あきらから、かやへ』って刻んであったでしょ。婚約指輪に入れる文字の定番的な書き方ね。私も昔は貰ったものだわー」

暫くあっけにとられていた伽夜は突如、指輪を元のようにチェーンに通し首に掛けると勢い良く立ち上がった。

「古嶋さん?」
「先生、ちょっと備品室借りていいですか?」
「…あ、どうぞ。なるべく短くね。他の先生にバレるとややこしいから」

はいはいと、草場先生は伽夜の意図を理解し頷いた。

「備品室借りていいですか?」という言葉は、生徒たちの間で「携帯を使いたいので、備品室を貸してください」という暗黙の言葉になっている。それは学校自体が携帯の所持を禁じているためである。 保健室の入り口から入って左の扉が備品室である。トーレットペーパーや電球などの備品が棚に整理して置いてある。伽夜は薄暗いそこに入るとスカートのポケットから携帯を出した。薄く軽いのを売りとして開発されたその携帯はそれよりも機能性を比較的重宝している。

「……」

アドレス帳に一応登録してあるその番号にかけるのは随分、久しぶりである。しばらく、液晶画面とにらめっこした後に通話ボタンを押した。

「もしもし?」
『…なんだ、お前か。生憎、今は仕事中だ。かけなおせ』
「嘘吐き。今、大学昼休みでしょう?それにかけなおしても、お父さんでないじゃない」

出ないと思っていたのに、相手は珍しく出た。伽夜は置いてあった三脚に腰掛けた。高さは丁度良い。電話の向こうの自分の父親は相変わらず、仕事人間らしい。家庭のことなどどうでもいいのか。

『なら、早く用件を言ってくれ』
「私の指輪って何処かで買ったものなの?」
『……』

待っても返事が返ってこない。以前、そのまま返事を待って切られた経験があるため、返事を促すために言葉を紡ぐ。

「指輪の中にね、私と「あきら」って名前が彫られてるの。それに昨日、これと同じ指輪持っている子に会ったんだけれど」
『その子に見覚えあったのか?』
「ううん、全然。もしかして、私が記憶喪失になる前の友達?」

実は、伽夜には十歳以前の記憶がない。全く覚えていないのだ。原因は父親曰く、母親の死がショックすぎて忘れたらしい。思い出すために色んな療法をしたが無駄に終わって、現在に至る。告白した少年が伽夜を知っている風であったのは、きっと少年が何らかの伽夜の関係者であったからだ。しかし、伽夜は少年に見覚えがない。それは正しく、欠落した記憶に関する人物であった証だ。

『ああ、そんなもんだ』
「でもさ、あの指輪って婚約指輪だよね?」
『覚えていたのか!?』

興奮したような、焦ったような声が携帯に響いた。鼓膜が痛くて、少し耳から携帯を離す。

「だから、覚えていないってば」
『…もう切るぞ。じゃあな』
「ちょっと!…あーあ、切れちゃった」

通話ボタンを押して携帯をポケットに戻す。

「でも、やっぱりこれはあきらっていう子と私の婚約指輪なんだ」

あの焦りようは肯定と同じ意味を持つ。分かったことはそれだけ。けれど、十分大きな成果だ。伽夜は気を取り直して、ドアを開けた。昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り始め、それは今からの前兆のようだった。

 



written by 恭玲 site:願い桜