確かに君は此処に居た


6.役者は揃い、動き出す

マンションの下の駐輪場。比較的広い駐輪場には長く使われていなそうな自転車や倒れている自転車が置いてある。

「本当に今から行くの?学校」
「だって早く見つけないと!」
「でもさ、日が短くなってきてるから危ないよ。伽夜」

あの後、伽夜は風呂に入ったりご飯を食べたりしているうちに時刻はすでに午後になっている。あと数時間もすれば夜になってしまうため、明は「今日はやめておこう」と遠回しに言ってくる。

「大丈夫、大丈夫!明くんが一緒だから平気だって!」
「僕、多分・・・他の人には視えないよ?さっきの管理人さんのとき、分かったよね?」

明の問いに伽夜は小さく頷く。さっきエレベーターで一階まで降りて玄関へと行くと、丁度マンションの管理人である若い女の人が箒を持って掃除をしていた。伽夜の存在に気がついた管理人が伽夜に話かけてきたのだった。『今から、一人で何処に行くの?ひょっとして買い物?』と。隣に明が居たにも関わらず…。それは紛れもなく管理人は明の姿が視えていなかった。

「とにかく大丈夫だよ!ところで明くん、後ろ乗れる?」

赤い自転車に乗った伽夜は後ろの荷台を叩いた。

「多分乗れるけど…自信がないなあ」
「一体、何の自信?」
「自転車の二人乗りなんてしたことないから」
「えっ!?したことないの?」
「うん、ないよ。ちなみに僕は自転車に乗れない」
「もったいない!」
「え?」

明は思わず聞き返してしまった。正直、今の言葉にそう返事が返ってくるとは思っておらず、逆に一般人が愛用している自転車に乗ったことがない自分にきっと「珍しい」という言葉が返ってくると思っていた。

「もったいない、もったいない!」

伽夜は明に言い聞かせるように何度も「もったいない」と連呼する。

「風をきる気持ちよさとか、めぐる変わる景色の楽しみとかあるのに!」
「た、楽しみ?」
「そう!二人乗りするときにどっちが扱ぐか、後ろに乗るかでちょっともめたり、扱ぐときにはいつもと違うバランス感覚に苦戦したり、警察に見つからないように自転車に乗る、ちょっとしたドキドキ感とか」

自転車に乗った時に感じる風の心地よさや、自分のペースで扱ぐ度に変わっていく景色の変化などの自転車ならではの楽しみを知らないことに「もったない」と伽夜は力説して言っているらしい。

「まあ、人生経験よ。明くんは幽霊だけどさ、経験できることはしたほうがお得じゃない?だから、後ろ乗ってみようよ」

促すように再び、荷台を数度叩かれる。

「うん、それもそうだね♪」

明は後ろの荷物台に腰を座らせた。





田んぼ道を二人が乗った自転車は進んでいく。数ヶ月前に稲穂で広がっていた田んぼは一度稲を刈りいれたものの、再び黄金色の光景が広がっている。豊かな実りの証だ。遠くを見ると、畑も点々とある。この地は未だに農業が盛んらしい。

(綺麗だなあ)

田んぼに吹く風が稲穂を揺らす光景は美しい。それを伽夜の後ろに乗っている明はただ黙って見ていた。

「大丈夫?」

視線を前へ向けると伽夜と目が合った。さっき、ふともらしてしまった「自信がない」という言葉を気遣って聞いてくれているようだった。

「大丈夫ーすごく快適」
「本当に?」

伽夜は自動車の音に気づき、ぱっと前を向いた。本来、後ろに感じられるはずの負荷は感じらないためかこうやって話すのは不思議な感覚だ。「本当だよ」と 明は自動車が二人の横を通ったために大きな声で言ってみた。「良かった」と伽夜が同じように答える。そのまま自転車は田んぼ道から住宅街へと入る。灰色のブロック塀が続いていく様は迷路のようだ。子供が騒ぐ声、からすの鳴き声、家族団らんを楽しむ声などが耳に入ってくる。

「へえ、あの作家さん好きなんだ。だったら、その人の新作出ているの知ってる?」
「え。出てるの!?うわ、読みたい!」

そうやってたわいない話をして、少し運転から注意が逸れてしまっていたのだろう。

「!」

気付いた時にはもう遅かった。小道の角から曲がってきた人物が伽夜の運転する前方に居た。

「…っ」

慌ててハンドルを左に切った。伽夜の身体は自転車と共に地面にたたきつかれた。自転車のハンドルが丁度、太ももの上にあるせいで自転車の重みがそこにかかり痛い。

「大丈夫ですか?」

低く気遣う声が伽夜にかけられた。

「あ、はい。大丈…お、大久保おおくぼ くん!?」

見上げた人物はクラスメイトの大久保だった。あの保健委員なのに一度も仕事に来ない大久保愁。大久保もきょとんとした面持ちだったが、伽夜を認識したのか、見慣れた仏頂面に変わった。

「…ごめんなさい。怪我ない?…っ」

自転車から足を抜けて立とうとしたら、再びかくんと力を無くし座り込んでしまった。初めて気が付いた。見下ろした自分の足は皮膚が裂け出血している。

「伽夜!ねえ、大丈夫?頭とか打っていないよね」

明は自分が触れられないと分かっているのにも関わらず、伽夜の前に立ち怪我が無いのかあちらこちら確認しているようだった。

「うん、頭にこぶは見られないね。足と手には打撲とすり傷。良かった、軽症で」

明は何度も頷き、安心したように伽夜の前に座り込んでそう告げた。

「おい、手伝え」
「…はい?」

思わず返事をした伽夜。大久保はいつの間にか、倒れた伽夜の自転車を起こしてくれていた。

「古嶋じゃねーよ」

伽夜は他に人がいるのかと周囲を見渡した。

(大久保くんと私以外には明くんしかいない)

周囲にはその三人しかおらず、他の人の影など見えない。それに気づいたのか、大久保は言葉をさらに紡ぐ。

「古嶋の隣にいる奴、荷台に乗ってたんだから連れだろ?怪我の確認してくれたついでに、こっちも手伝え。倒れた拍子にチェーンがおかしくなったらしい」

明はきょとんと自分より背の高い大久保を見上げる。不思議そうに見上げる明に視線を向けていた大久保は何かに気付いたように表情を歪めた。

「…お前…っ!」

突然、大久保は驚いたように慌てて視線を伏せた。明はゆっくりと立ち上がると、大久保に歩み寄った。その目は真剣さを帯びていた。

「君は僕が視えるんだね?」
「…大久保くんが?」

今まで、大久保に霊感があるとは聞いたことが無いため少し驚きだ。図星らしい大久保は明から完全に視線を逸らしている。

「うん、この人。僕と同じみたいだ。ねえ、事実を隠さなくてもいいんじゃないかな」
(…同じ?)

明の言葉に引っ掛かりを感じるが、今はそんな場合じゃない。

「霊に説教されたくねえ!」

唸るような声で大久保は明を見据えたが、すぐに隣の伽夜へと視線を向ける。視線に気づいた伽夜と視線が合うと、ぱっと視線を逸らされた。

「あの公園のベンチまで歩けるか」
「…え?…あ、うん」

大久保は使い物にならなくなった自転車を抱えて、公園のほうにすたすた歩き出した。

「え、え?」

突然の大久保の行動に伽夜は理解できず疑問符を浮かべる。

「とりあえず、ついていこうよ」
「あ、うん。そうだね」

公園まで十五メートルくらいの距離だ。伽夜はゆっくりと立ち上がり、痛みを我慢して歩き出す。その後を明が深刻そうな表情をしてついていったのを伽夜は知らない。


written by 恭玲 site:願い桜