確かに君は此処に居た


7.君が視えるヒト

夕方前の公園は肌寒いのにも関わらず子供たちは元気よく遊んでいる。楽しそうな声は少し離れた二人が座るベンチまで聞こえてくるほどだった。子供は風の子と先人が言ったのも頷ける。

「ごめんね、明くん」
「え?何がだい」
「学校に行けなくなって…」

伽夜は申し訳なさで目を伏せる。自分の不注意のせいで学校に行けず、探し物は探せない。探し物はなくした事に気付いた時から早めに探す方が見つかる可能性が高いというのに。

「大事なモノなんだもの。明日は絶対、探しに行くから!」
「気にしなくていいよ!むしろ伽夜の方こそごめん。それに…助けられなくてごめんね」

伽夜の隣に居る明は項垂れた。あの時、咄嗟とっさ に明は伽夜へと手を伸ばしたが、霊体である明の手は伽夜を当然すり抜けてしまったのだ。

(…分かってたはずなのに。…でも、怪我をさせたくなかったんだ)

自責の思いが積もる。好きな人を助けられず、怪我をさせてしまったという思い。けれど、明はそれを振りきるように顔を振った。これ以上、そんな顔をしていたらますます伽夜は思いつめてしまうからだ。

「傷、痛い?」
「水で洗うときは結構しみたけどもう、そんなに痛くないよ」

足の膝頭。派手に擦りむいた傷口は公園の水道水で洗ったおかげで砂やごみは取れ、血が固まり始めている。スカートを着てこなければ、もっと軽い怪我で済んだかもしれない。

「傷跡が残らないといいんだけれど」
「大丈夫。一応まだ若いから」

多分、まめに治療すれば残らないだろう。 治癒力があってこその若さだ。

「それよりも、自転車どうしようかな…」

二人が座るベンチと隣のベンチに止めた自転車は事故のせいで動かなくなってしまった。足の痛みが緩和しても自転車をこの公園から自宅まで抱えて帰るのは無理がある。

「あ」

明が声を上げた。伽夜はそれにつられ顔を上げる。向こうから自転車がこっちに来るのが見える。よく目を凝らすと、自転車を扱ぐのは大久保だった。やがて自転車は二人の前に止まった。

「…遅くなった」
「ううん、全然」

視線が合うなりやはり逸らされて、大久保は自転車から降りると自転車の籠に入っていた白い箱を伽夜に渡した。  突然差し出された箱を受けとる。白い箱の蓋には十字。

「へえ、救急箱だね。意外と気が利くんだ」

白い箱の正体は救急箱だった。伽夜が顔を上げた時には、大久保は伽夜の自転車の前で何か作業をやりはじめていた。こっちからは背中しか見えず、何をしているのかはわからない。

「ねえ、早く手当てしたほうがいいよ。切り傷でも擦り傷でもほっておいたら慢性になっちゃうからね」
「そうだね」

救急箱を開けると、バンソーコ、テープなどの治療道具が綺麗に収められている。それらの具合から言えば、あまり使われていないらしい。

「それ、家から持ってきたんだね。それなら、手当てしてくれてもいいのに」

隣で明がそうぼやくのを伽夜は消毒液を傷口に吹き掛けながら聞いていた。冷たいような痛いような感覚が傷口からはしるが我慢だ。

(…大久保くんは多分、女嫌いだからしょうがないもの)

大久保しゅう 。 女嫌い…だと噂には聞いていた。現に女と話すのも視線を合わせることさえ嫌いらしい。クラスメイトだと言っても、伽夜自身親しい人しか意識がいかないため、それ以外の人に関してこの人はどんな人?とたとえ聞かれても答えられない。しかし、さっき視線を逸らされたから『女嫌い』というのも間違いないのかもしれない。

「躊躇いがあるんだよ。…多分」
「そっか。男が女の子の肌に触るのは失礼極まりないもんね。それに僕以外の男が伽夜に触れるのは嫌だ!」
「嫌なの?」
「嫌だ!そんなの、当たり前だよ。僕の好きな人に見知らずの男が触れているなんて絶えられない!」
「…明くんって案外男らしいね」

ぽつりと呟くが聞こえていないらしい。本人はそれどころじゃなくて、その光景を想像して憤慨している。その可愛らしい容姿から時には醜い『嫉妬』という感情を抱くというのは連想できないが、実際その嫉妬をする明だった。

「もし僕が生身でそんな光景にあったら、まず引き剥がして…その後、じっくり闇に追い詰め…もとい、御礼するかな。でも今、生身じゃないからせめて僕がその男を祟る!」
「た、祟るなんて大げさじゃない?」
「ううん、全然」

頭を振って、にっこりと可愛らしい笑顔を向けられるが、明の背後に黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではないみたいだ。

(そ、そうならないように注意しておこう!)

明ならば、有限実行しそうだと判断した伽夜は固く決心する。傷口から垂れた消毒液をハンカチで拭き取り、ガーゼで傷口を覆って終わり。道具を元に戻して蓋を閉める。

「ありがとう」
「別に」

自転車の前に座ってペダルを手でぐるぐる回す大久保は空いている手で救急箱を受け取る。伽夜はその様子を物珍しそうに見ていると、大久保は立ち上がった。

「チャリ、直った」
「え?」

自転車を直すときに使ったのだろう、地面に置いていた道具をリュックに詰めていく。

(直ったって直したのは大久保くんなのに。人事みたいに…)

誰かが自転車を直したんだ、という人事のような言葉だったが、それは他の誰でもなく大久保が伽夜の自転車を修理してくれたのだ。謙虚というべきか。

「良かったね。自転車、直ってさ。これで悩みは解決したね」
「うん!良かった」

自転車を抱えていくという悩みはこれでなくなった。本当に助かった。

「ごめんね。私の不注意でこうなって…救急箱もわざわざ家から持ってきてくれて、本当に助かった」

返事もなく、背を向けているから表情を見ることもできないが、大久保は片付けをしながら黙って聞いてくれている。

「自転車も直してくれて本当にありがとう。迷惑かけてごめんね、大久保くん」
「ちょっと待ったああ!」
『!?』

突然の大きな声に二人はビクッと身体を震わせた。何事とかと、大久保はリュックのチャックを閉めようとした手はそのままに座ったまま振り返って明を見上げる。

「さっきから静かに話を聞いていれば…全部伽夜が悪いみたいじゃないかっ!」

二人の視線先―明が大久保を指差して、きゃんきゃんと吠える犬のように叫ぶ。明を止めるように伽夜が違う、違うと連呼する。

「明くん、それは違う!私の不注意で大久保くんに迷惑をかけたんだから私が悪いの!」
「いーや、違うもんね。僕はちゃんと見ました。何にも確認せずに道に出てきたんだから!だから、こいつも悪いよ」
「……」
「ねえ、お互い様って意味知ってる?Do you know?」
「そのくらい知ってる」
「今…認めたね。自分も悪いって認めたよね?」

明は大久保の眼前まで顔を近付け、念を押す。その明の迫った気迫に負けて、大久保は数回頷いた。それを見て、明は満足げに微笑んだ。

「女の子の身体を傷付けた罪は重いっ!だから手伝ってもらうよ?」
「………は?」
「手伝ってもらうって、まさか…指輪?」
「うん!人数は多い方が伽夜に負担かけなくて済むからね」

指輪捜索に大久保が加えるという明の提案は、少し戸惑うものがあった。あまり大久保と関わったことがないというのが何よりの理由だ。それは伽夜が記憶喪失になった当初、対人恐怖症になっていたせいなのか、今でも人見知りなどすることが多いため特定の人しか付き合いをしないせいでもある。今回のような『事故』という突発的な出来事で一時的に関わるのならばいいが、特定以外の人とこれからいつ終わるとも分からない付き合いは伽夜にとっては嫌だった。

(でも、これも明くんのためだよね)

明を忘れてしまった罪悪感とこの戸惑いを比べれば、罪悪感の方が勝る。指輪を見つけることで少しでも償いになればいいと思うのだ。だから、我慢することにした。

「ああ、言っておくけど断ったら僕が全身全霊込めて悪戯するからね」
「………」
(あーあ、黙り込んじゃった)

仏頂面の大久保の顔がさらに歪み、ベンチに黙ったまま座り込んだ。明の全霊全霊の悪戯か、協力するかで迷ってるらしい。

「何かを探すだけだな?」
「そう、それだけだよ。僕の大事な指輪を見つけるだけ。簡単でしょ?」
「簡単はともかく、探し物は指輪なのか」
「そーだよ。僕の婚約指輪」
「婚約指輪!?お前、霊のくせに婚約者がいるのか?そいつもまさか、霊?」

疑うような大久保の視線に明は少し怒ったような声で言う。

「幽霊じゃない!ちゃんと健康的に日々生きているし!それに幽霊だから、婚約者の有無とか関係ないよね?伽夜」

「う、うん。関係ないね。その人の自由だもの」

だよねー♪と頷く明は機嫌を良くしたらしい。その言葉くらいで明の機嫌を直すのは伽夜だから、だろう。単純な奴だ。

「それより、なんで古嶋も指輪を探すんだ?」
「それは、伽夜が僕の婚約者だからだよ」
 「…はあ?」

明は愛しそうにそう言うと、伽夜を包み込むように伽夜の両肩に自分の手を置いた。正面から見れば、背後から抱きしめているように見える。肩に明の手がすり抜けているのは見えないふりをしよう。戸惑う伽夜はそのまま明を見上げると、気づいた明ははにかみながら笑う。

「それじゃ、お前は指輪をなくしたから古嶋の前に現れたのか」
「それもあるけれど、やっぱり少しでも愛する人の傍に居たいからねえ」

その言葉で伽夜を真っ赤にするのは簡単だった。真っ赤になった伽夜に気づいた明は「どうしたの!?熱?」と騒ぐが、その言葉は伽夜には届いていない。

(あ、愛する人って、なんでそんなことをさらって言えるの!?)

愛の言葉をさりげなく囁かれた伽夜は軽くパニック状態だ。甘い言葉を囁く明も明だが、さっきの言葉は紛れもない真実である。大久保は呆れたような視線で二人を見てため息をついた。

「わかった、手伝ってやるよ。お前みたいな執着心強い奴にちょっかい受けたくねえし」
「なんか言い方が腹立つけれど。それはよかった」
「なあ、まだ聞きてえことあるんだけど」
「それは僕がじっくり話してあげる。その前に伽夜を連れて帰るから。もう暗くなってきたし」

思えば、公園で遊ぶ子供たちの賑やかな声は消えて、太陽が西へ沈みかけていた風も昼間より寒さが増した。色々話すうちに時間は結構経っていたらしい。それから、三人は別れそれどれの帰路に着いた。



written by 恭玲 site:願い桜