「さあ、やろうか」
「何、何。作戦立てるの?」
ルーズリーフと筆記用具を丸テーブルの上に置いて座った伽夜に明は問いかけた。
「当たり前!物事はちゃんと道筋たてるのが決まりだよ」
「伽夜って、理数系だったっけ?」
「ううん、思いっきり文系だけれど」
理数系など全然駄目駄目だと伽夜は自覚している。文系教科はそれなりに得意なのに、理数系科目で点数が悪いことが成績上昇の足を引っ張っているのが現状である。
「物事はちゃんと道筋をたてるのが決まりっていう考え方がなんか理系っぽかったから聞いたんだけれど…へえ、文系だったんだね」
「私は思いっきり文系だよ。理系の人みたいに頭の回転早くないもん。問題解かないと身につかないでしょ?文系は暗記すれば楽だもの」
「でも理数系のほうが公式覚えるだけで済むからいいと思うけれどなあ。覚えること少ないから解くのは楽だよ?答えもいくつもなくて、たった一つだけだしね」
「明くんは理系なの?」
明の返事からして、そう思う。そう聞けば、明は少し考え込むように視線を泳がせた。
「…多分、理系なのかな。歴史よりも数学のほうが好きだし、そっちのほうが得意なんだよね」
「じゃあさ、理系科目教えてくれない?」
理系科目が得意で好きという明に教えてもらえば、少しはこれらの理解も深まりそうだ。
「教えるくらい、全然良いよ。僕に分かることなら、教えてあげる」
「助かるっ!ありがとう」
これで理系科目の心配はしなくて済みそうだと安堵する。
「あ、それでさ、あの後のことを教えてくれる?」
しばらく宙に漂っていた明は、ベッドと扉の間に置かれた丸テーブルの前に座っている伽夜と向かい合うように座った。
「あの後って、僕が伽夜に愛の告白した後?」
恋愛ごとに免疫を持たない伽夜は明の言葉でたちまち真っ赤になった。
「あ、愛!?愛の告白って…!」
「だって愛の告白以外にないよ?僕が伽夜に果たし状とか不幸の手紙とか送りつけたりしないしさ」
伽夜の頭の中で『愛』と『告白』の二つの単語が巡り巡る。『果たし状』と『不幸の手紙』の単語を気にかけるほどのすきさえない。
「もしかして…覚えていない?…もう一度、言おうか?」
突然、真剣な表情をしてテーブルに身を乗り出した明から反射的に離れる。
「い、や!ちゃんと覚えてます!」
「本当に…?」
明は自分と伽夜との間にある丸テーブルを飛び越えて、近付いてきた。そんな明とさらに距離をとろうと後ろに身を引けば、すでに伽夜の後ろはベッドがあって動けない。
(近い、近い、近い!)
心の中で叫ぶ伽夜の心境も知らずに明はお構いなしに顔を近付けてくる。
「本当に僕が言ったこと覚えている?」
「わ、忘れてって言うほうが無理だよ!」
あの日の記憶が過ぎる。
『好きだよ、ずっと昔から今からも。…たとえ、僕を覚えていなくても』
突然、告げられた告白を忘れることができようか。まして、張本人が次の日に幽霊として現れて…しかもその幽霊が自分の婚約者で婚約指輪を探すことになった、なんて話。強烈すぎて忘れられない。
「本当の本当に覚えている?」
念押しされてこれ以上ないほどに頷いてみせる。
「じゃあ、僕が言ったこと言ってみて?」
「そ、そそそれはっ!……っ」
懸命に阻止しようとした伽夜は、はっと口を次ぐんだ。じっと自分を見つめてくる両目が不安そうに揺れていることに気が付く。
(もしかして…また私が明くんとの記憶を忘れたって思っているの?)
伽夜の中に自分の存在があるか探るようにじっと見つめている明は小さな子供のようだ。
(どこかで…見た…)
そう思った伽夜は目を見開いた。
『覚えていないんだね』
一言だけ。たった一言だけ。 頭に響いた。記憶の箱が一つ開く。それは今の伽夜にとっては初めの方の記憶。自分に記憶がないと知ったばかりの時。自分が居た病室に一度だけ来た少年が、黙ったままじっと見上げる伽夜に言った言葉。
「…ごめ、んね」
思わず、謝罪の言葉が出てしまった。 記憶の少年と同じ目で明は伽夜を見る。ああ、あの時の子が明くんだったのだと伽夜は頭の隅で確信した。
「…す…好きだよ…」
伽夜は少し目を伏せて言葉を紡いだ。言わなくてはいけないとはいえ、恥ずかしさが先にたってしまう。
「もういいよ、伽夜。ありがとう。覚えているなら…覚えていてくれているなら、いいんだ。ごめんね」
顔を上げれば、穏やかな表情を浮かべた明が触れられないのにも関わらず伽夜の頭を撫でていた。 記憶がさらに蘇る。そう、あの時も。こうやって、明くんは私の頭を撫でたのだ。今にも泣き出しそうな哀しい視線を向けて、静かに撫でていた。でも、今は違う。浮かべているのは、穏やかな表情だ。
*
気を取り直して、二人は話し合いを続ける。明は定位置に戻って、再び二人は向かい合わせに座っている。 「で、あの後か…」と テーブルに頬杖を付いた明は遠くを見るような目をした。あの日の記憶を呼び戻しているのだろう。
「あ。そうそう!高校を見て回ったんだった」
「高等部を?なんで見に回ったの?」
「好きな人が存在する場所を見ておきたかったからだよ。どんなモノが周りにあって、どんな風に過ごしてるんだろなーってね。楽しかったよ!やっぱり学校っていいね」
「え…っと、高等部のどこを見たの?」
嬉々として話す明は胸を張った。あえて『好きな人』という言葉はスルーしておく。また話が進まなくなるからだ。
「うん、そーだね。三年生の校舎に行って伽夜のクラス見つけたかな。三−五とか最初入ったクラスだったからラッキーだったよ」
「じゃあ、三階から見ていったんだね。二階と一階とか他に行った?」
高等部の校舎は中庭を挟んで北棟と南棟に分かれ、さらに二つの棟の繋ぐように西棟が建っている。分かりやすくいえばコの字型に建っていて、これら3棟はすべて三階建てである。また北棟と南棟は教室棟で、西棟は音楽室、家庭科室、職員室…などの特別棟になっている。
「うん。校舎は三階から一階まで順に回った。図書館も蔵書多くて、音楽室の楽器も豊富だったし、体育館は綺麗だったし… あと、裏庭も見たよ。学校に噴水ってお洒落だよねえ。ちゃんと花壇の整備もされて綺麗だった」
裏庭には噴水があり、花壇には季節ごとの花が咲く憩いの場だ。高等部は代々の理事長が『生徒に穏やかで快適に過ごすことが出来る環境を与える』という理念があるらしく、学校の施設や設備はとても充実している。それが出来るのは、私立ならではだろう。
「結構、色んなところを散策したんだね」
「散策は昔から好きなんだ。ほら、新しいモノや変わったモノを見つけたら嬉しいでしょ?得した気分になる」
「お得感か…じゃあ、そのうちここら辺をゆっくり散策する?ちょっと行ったら大きな公園とかショッピングモールとかあるし… もう少し行けば小高い山もあるよ」
「それ、いい考えだね!楽しみだな」
提案した案がよほど気にいったのか、明はいつもに増してにこにこと笑っている。そんな明の反応に嬉しさを感じつつ、伽夜はテーブルの上に置いたルーズリーフに視線を落とした。
(しまった…!まだ白紙…)
右手に握っているシャーペンはまだその役割を果たしていない。ついつい話が脱線して、自分も話しにのってしまった結果である。伽夜は猛スピードで今まで話したことを思い出しながらルーズリーフに綴り始めた。
*
「 字、綺麗だね」
伽夜がルーズリーフにまとめている最中、一度も口を開かなかった明はその作業が終わったことを見届けるとそう言った。
「あ、え?いや、全然!自分が読めればいいって感じだもの」
自分の書く文字が綺麗だと思ったことはない。文字の本質は読めることにあるのだから読めれば問題ないのだと伽夜は思っている。しかし文字が綺麗で読みやすいことに意義を唱えるつもりもない。
「なんか、のびのびとした筆跡で僕は好きだなあ」
「……」
ルーズリーフに綴った文字に視線を落として、明は呟く。そこに何の意図も感じられない。
(…明くんって、天然たらしなんだろうか)
さっきから発せられる明の発言に対して、そんな疑惑を持ってしまう。なんで、さらっと「好き」という言葉が言えるのかわからない。そう思うけれど、口には出さない。もっとすごいことを言われたら敵わない。伽夜は咳払いをして、話題を切り替えた。
「あ、あのさ、校舎の探検後に倒れたって感じでいいのかな?」
「うん。帰ろーとしたら発作が起きて倒れたみたいだね」
「なるほど。じゃあ、最初は校内からが妥当みたいね。その後は裏庭を探そうか。でも、その前に職員室前に行くかな…」
特別棟の職員室前にはショーケースがある。その中に校内で拾われた忘れ物、落としモノが持ち主を待っているのだ。ひょっとしたら、そこに指輪はあるかもしれない。
「明日、日曜だけど行くの?」
「もちろん!休日の方が生徒が居なくて探しやすいし、なるべく早く見つけないとね」
「了解。明日は学校行き決定!…あ、そろそろお風呂入って来たら?もう二十一時過ぎだ」
「あ、本当だ。時間が経つのって早いねえ。じゃあ、そろそろ入ってくる」
伽夜はシャーペンをペンケースに入れ、まとめたルーズリーフと一緒に勉強机に置いた。
「多分、明くんはしないと思うけど……覗かないでね」
思い出したように振り返って言う伽夜に、明は言葉の意図を悟るとにやりと笑みを浮かべる。
「えー絶対、駄目?」
「だ…っ、駄目に決まってるよ!絶対駄目!」
「そう言われると余計覗きたくなるのが、男の性 だなあ」
「あ、明くんっ!」
「寂しいならさ、喜んで一緒に入るよ?残念ながら、僕の裸は見せられないけどね」
「〜〜っ。入らなくていいし、見なくていいよっ!」
バタンっと 伽夜の怒りを表すように、乱暴に閉まるドア。ぱたぱたと慌ただしく浴場へ向かう足音が聞こえる。 「からかいすぎたかな〜?でも好きな子ほどいじめたくなるって言うもんね」 と、からからと笑う明。その言葉に反して反省の色は全く見えない。
「さてっと、僕もやることをやるか…」
窓の向こうを見て、明は身を翻す。そのまま窓の向こうの闇に紛れ、姿を消した。