「なんで分かったの?」
すっと明の指先に「三−五」というクラス札が掲げられている。確かに今、二人が居る一階は三年生の教室が並んでいて、クラス札が掲げられていることは少しも不思議ではない。「実はさ、この前此処にも来て中にもちょっとだけ入ったんだ」南棟の一番奥の教室が三−五。伽夜にとっては、見慣れたクラスの出入口。しかし明が何故、明が此処だと分かったのか疑問が湧くが、明は「愛の成せる業だよ」としか答えない。
「ねえ、伽夜の席は何処?」
「席…?」
「そう!何処?」
伽夜は、あっちと指さした。教室に並べられた机は縦が五列、横が五列という構成で、それはクラスメイトの数と比例する。他のクラスよりも人数が少ないため、同じ教室の広さなのに此処だけは妙に広く感じる。
「へえ〜窓側なんだ?」
「二学期が始まってずっとそこかな」
グランド側の窓側の前から二列目の席が伽夜の座席だ。明は閉まっているドアをすり抜けて、教室の中へ入ってしまった。後を追おうとドアに手をかけて力を入れても、ドアはかたり、と震えるだけで動かない。
(閉まっているんだっけ。もう、忘れてた…。大久保くん、どうしているかな?)
ドアごしの明は移動すると机の前に立った。すっと前を見据えるその横顔がいつになく、真剣さを帯びて空間の雰囲気を壊してはいけない気がする。じっと見つめる視線に気付いたのか、明がこっちを向いた。そして出入り口に佇む伽夜に笑顔を向けると手招く。
「!」
閉まっているはずのドアが伽夜を教室へ招くように勝手に音をたてて開く。電気のスイッチの近くにある鍵を掛ける場所には鍵はもちろんない。ドアの向こうにいる無邪気に笑う。
「開けちゃった。この前は放課後だったから開いていたのにね」
ドアがひとりでに開いたのは、明のせいだったらしい。事実を聞けば、すんなりと受け入れてしまう。昨日も明は自分の存在を知らせる為に、アルバムをめくっていたのだからこのくらい簡単だ。
「黒板が近いね、ここ」
「そう?教卓のとこよりマシだよ」
「あー…あそこは確かに近すぎて嫌かも」
否応なしに教師の視線が一番届く教卓の前周辺は最もなりたくない席である。そのため、生徒に人気がない。
「でもね、此処は寒いから嫌。換気する時とか直接当たるから最悪」
「窓側だと冷えるもんね。風邪ひきそうだなあ。あ、でも引いたら看病するからね」
「じゃあ、その時は宜しくお願いしますね」
伽夜は明との会話を続けつつ、目的を忘れずに教室内を見て回る。教卓の下、掃除箱の中…など。クラスメイトの机の中を屈んで一応チェックだ。勝手に見てしまうのは良心が痛むが、発見する可能性があるならば仕方ないと割り切る。
「此処の席、嫌いなんだね」
「いや、そうでもないよ。とりあえず、ここなら昼寝も、内職も出来るから教卓前の席よりはましかな」
学校の教育方針として勉強道具は必ず、持ってかえらないといけない。それは自宅で勉強時間を身に付かせるためだが、その勉強道具が教室の各机の中に置かれている。
(みんな置き勉してるし……まあ、いっか)
「ごめん、内職って何?」
「授業中にその授業と違う科目をすること。例えば…数学の授業中に英語の単語覚えたり…」
机の中を一通り見終った伽夜は黒板の隣にある燃えるゴミ、燃えないゴミと書かれたごみ箱を覗きに行く。
(…一つもゴミがないや…昨日の当番の人誰だっけな)
ゴミ箱の中は生憎、一つもごみがない状態だった。ということはごみは学校のゴミ置き場に捨てられたようだ。ちなみに教室の掃除は当番制。席順の五人で一週間のローテーションだ。このクラスは一ヶ月で回ってくる計算になる。
「もしかしてやってるの?」
「やっぱり分かる?理数科目が受験科目じゃないから、そのときにね」
「バレたりしないの?」
「まあ、先生によるかな。バレて職員室に呼び出し……あ、職員室!」
伽夜ははっと明の顔を見た。明も唖然と伽夜を見つめ返す。
「もう…また…すっかり忘れてた」
がっくりと伽夜は床に座り込む。鍵も落し物のボックスのことも綺麗に忘れていた。少し凹んだ伽夜の傍まで明は宙に浮いたまま、近付いた。
「今から行ってみる?」
「うん、そうしようか。大久保くんも鍵開いていないから教室開けようがないよね」
「あ、そっか。でも、僕は此処以外の入っていないよ」
「でも…万が一っていう可能性もあるから開いてなくても探してもらったほうがいいかも」
「了解。ちなみに愁の席は?」
「大久保くんは………多分、あっち」
「愁は廊下側の窓側か…」
教室の後ろの出入口に一番近い。明が何やら考えてる最中に伽夜は自分の肩の高さと同じくらいの本棚に手をかけてみる。受験対策本や赤本だけではなく推理小説、恋愛小説など気が紛れるような本もいくつか置いてある。この全ての本は受験生に気を使った副担任が持ってきた、と実亜から聞いた気がする。
「やっぱり…ない」
教室の床にも落ちてない。ごみ箱にも、机の中にも、本棚にもない。教室の落ちていそうな場所は伽夜なりに探したが、指輪の影すら見えない。この教室には指輪はない。
(早く見つかるといいのだけれど)
伽夜は胸元で揺れる指輪に触れた。婚約指輪という指輪は二つないと意味がない。もう片方の指輪は何処にあるのだと言うのだろう。早く見つけないと永遠に見つからないような気がして伽夜は無意識に指輪を強く握り込んだ。