「…で?」
「見つからなかったな」
愁の報告を聞いて伽夜は落胆した。ひょっとしたら…という期待も消え去る。「こっちも」と返事をすると、愁はただ頷いた。
(頷いてくれた…?)
愁は目を合わせてくれたり、言葉を交えてくれることはないが、こうやって僅かでも反応してくれるようになったことが少し嬉しくて伽夜は固くなっていた表情を和らげた。それと共に伽夜の中の愁に対する苦手意識も軽減されている。双方、良い傾向だ。
「ちゃんと探した?」
「隅々まで探したさ。わざわざ、眼鏡を持って来てな!」
明が疑うような眼差しを向けて愁に問うと、愁は証拠と言わんばかりにリュックから青い眼鏡入れを出した。どうやら愁は眼鏡を必要とするほど視力が悪いらしい。青い眼鏡入れを振ると、中見の眼鏡が存在を主張するように音を立てる。眼鏡をかけている愁の姿を見たことない、と思考の片隅で考えてみる。ただそれは伽夜が普段クラスメイトと言えども人に対して観察することがないからだ。
「そっか。なんか教室棟にはないみたいだね」
「特別教室を探すしかないかな」
今まで三人が探していたのは教室棟だった。音楽室、家庭科室…明が行ったという場所を巡るという地道な道しかない。二人の会話を聞いていた愁が明に問いかける。
「そもそも各教室を探す必要はねーだろ。そんなに徘徊したのか、明」
「徘徊?僕を不審者みたいに言わないでくれる?病弱だった僕でも常識人なんだからね」
「常識人か。あーはいはい。で、どうなんだ?」
「適当に言う人には教えてあげない」
「お前…誰が何のために探しているのだと!」
「そんなに僕に末代まで祟って欲しい?悪戯は大好きだから、きっと楽しめるよ?きっと始めは不眠カーニバルだね」
祟ると言う時点で常識人から外れているだろう!という突っ込みは心に仕舞う。黒いオーラを滲ませた笑顔を向けられた瞬間に、愁はすぐ言い方を改めれば良かったと後悔した。自分が何のために―それこそ明に祟られないように―指輪を探すことを手伝っているのかを改めて実感する。「あー、ごめん」と言えば、明は何もなかったように愁の質問にようやく答えた。
「確かに教室棟の全部の教室に行ったわけではないよ。教室棟は三年のとこしか行っていないから」
明の発言でその場の空気が瞬時に凍る。言った明はわけが分からずに固まる愁と伽夜を見比べて、戸惑っている。事態を把握した愁が我に返って口を開いた。
「それを最初に言え!それにな、特別教室には鍵がついては入れねーってことを忘れていたんだ」
「鍵って職員室の中だもんね」
伽夜の言葉に愁は大きく頷く。「返事くらいしなよ!」と隣から批判されるが、愁は指輪を探している間に手に入れた鍵の存在を二人に明かす。あくまで学校にいる幽霊の自称・初代校長から提供された情報を実行して手に入れたという部分は勿論、伏せてだ。
「まあ、それがある事情で鍵は手に入れた」
「一体、どんな事情?それって職員室にあったやつじゃないよね」
「嗚呼。だから鍵の心配はない」
「愁!」
ズボンに突っ込んだポケットに感じる鍵の感触は現実のものだ。あれは夢ではなかったと愁に告げる。その鍵の入手方法を話さない愁に明は催促をするよう声を上げた。それもそうだろう。特別室の鍵は一般的には職員室にしかないのだから、明が不思議に思うのも仕方ない。愁はわざと明を無視して話を進める。これ以上、此処で話をしても時間を消費してゆくだけだ。
「それより…この後、焼却場を見に行った方がいいんじゃねえか?確か、月曜にごみ出しだった」
「へえ、意外に頭は回るんだね」
「さっきから一方的に馬鹿にしてるだろっ!」
「そうだっけ」
言い合いを始めてしまった二人を制止させようと、それまで場を見守っていた伽夜は口を開いた。
「…と、とりあえず焼却場に行く?」
伽夜の提案に二人はぴたりと言い合いを止めた。焼却場の探索に賛成三人はこうして焼却場へと向かった。
*
正門から真逆の位置で、西棟の後ろにある焼却場。数年前の政府の政策から以降、使われていない。ただそこに隣接し、ブロック造りのごみ置き場は、金網の扉には鍵さえかけられてない。
「これ、全部調べるのに結構かかりそう」
「なんて言っても、学校中のごみを集めているから相当な量になるな」
学校中のごみが燃えるごみ、燃えないごみ、プラスチックと分かれ何袋にもなり、積み上げられている状態だ。ごみ出し日は月曜と木曜の週二回と言っても、何百人が過ごす学校ではたった実質二日のごみでも量は多い。それを見て呟いた伽夜の一人言に愁が納得するように言葉を重ねる。まともな会話が成立したとは言えないが、大分愁との接し方は確実に進歩していると伽夜は実感した。
「ここはないよ」
明が小さく言ったのを愁は逃さず聞き取って理由を尋ねる。
「根拠は?」
「僕の勘」
「当てにならないじゃねーかっ!」
落とした張本人が主帳するが、勘という曖昧なもので判断するのは当てにならない。
「将来、上昇する株を当てるのが得意な僕が言うんだから間違いない」
「そんな特技とこれは別だろう!」
「へえ、僕を馬鹿にするわけ?」
「大体上昇株を予知する特技をもっと発揮していたら、日本の経済はもっと良くなっただろうよ!」
「なんで日本のために特技を発揮しないといけないわけ。伽夜のためにだったら……って、伽夜?」
ビニールが擦れる音が二人の耳に届く。二人が言い争っている間に、伽夜はごみ置き場の中へ入り袋を開けて探し始めていた。
「ほら、時間ないからね」
手を止めた伽夜が明に笑いかける。その手に行きにはめていた手袋ははめられていない、素手のままだ。周辺に軍手など見当たらない。その手に金属やガラスの破片で怪我をする可能性があるというのに躊躇いなど伽夜から見受けられない。
「制服が汚れるから、やめた方がいいよ!怪我するよ!」
「大丈夫。制服は洗えばいいし、代えはあるもの。でも、あの指輪は代えなんてないから絶対見つけないとね。怪我も気をつけるから」
そう言うと、伽夜は再びごみ袋に手を突っ込んで探し始めた。明の隣に居た愁もいつの間にか、作業を開始していた。取り残された明はこの場では何も出来ない身の上なため、この場から去った。冷たい風が探す二人の身体を冷やしてゆくのに、探すペースを崩さずに一心に探してゆく。
*
「…ない」
「…ああ」
ごみ袋は元の通りにして、散らかしたコンクリートの床をようやく掃き終わった。見上げた空は茜色から深藍色へ染まりつつある。ごみ袋は二人によって丹念に調べられたが、指輪らしきものさえ見つけることは出来なかった。これによってごみに紛れた可能性は今日の時点でないということが分かった。
「やっぱり…校舎の中かな」
伽夜は建物の金網門を閉め、目の前の西棟校舎を見上げた。特別教室がある西棟の何処かで持ち主である明を指輪は待ち続けているのだろうか。「お疲れ様」と明が二人の元に降り立つ。探し始めて一度、明の姿がないことに気がついたがきっと明なりに探しに行ったのだろう。その表情は心なしか暗い。それから明も指輪を見つけることが出来なかったと察する。
「…見つからなかったぞ、明」
「あ、そーなんだ。残念、だな」
「やっぱり特別教室のどこかにあるのかもしれない」
「でも今日は帰った方が良さそう。大分、暗くなってきたし疲れたでしょ?ありがとう」
「そうだな。俺も寄るとこあるし…ん?」
愁はズボンのポケットを探りつつ、怪訝そうな表情をした。リズミカルなズボンを叩く音がする。「…ねえっ!」 と愁が青ざめたように言うと、背中にからっていたリュックを探り出した。
「…どうしたんだろ…?」
「さあ?」
突如、焦り出した愁の行動を二人は不思議そうに見守る。しばらくして愁はリュックのチャックを閉め、項垂れた。
「…ねえ…どこにもねーよ…」
「何かなくしたのかい?」
「…明。お前、俺の財布知らねーよな…?」
「財布?」
どうやら愁の財布が見当たらないらしい。
「いつもズボンのポケットに入れてるんだけどなー…ああ!そうか…玄関に…」
「家に置いてきたんだね。財布が居るって何か買うの?」
「晩メシ」
「なるほど。そりゃ、いるね。んー」
愁と話していた明がくるっ、と伽夜の方を向いた。
「伽夜。相談があるんだけど。僕の御供えさ、愁にあげていい?愁は一人暮らしなんだ。だからこれから財布取りに帰って材料買ってきて作るの大変でしょう?」
明の御供え。伽夜が充に頼んで一人前増やしてもらった料理。それを御供えして、その後伽夜が食べていた。それを愁にあげても良い?と明は聞いてくる。あれは明のためにしたものだから本人が好きにしたら良いと思い、「う…うん。構わないよ」と承諾する。
「そっか!良かったね、愁。今日は伽夜の家で夕御飯だ」
てっきり、お供えをあげるとはタッパかなんかの入れ物に入れてあげるのかと勝手に思っていた伽夜は目を見開いた。言われた愁も唖然と明を見ている。
「いや、いいっ。俺は財布を取りに帰るから遠慮する」
「ふーん。その格好でスーパーに行くんだ?」
愁は自分の格好を見下した。黒の学ランはあちらこちらを探しまわったために少し汚れてる。試しにくんくんと匂いを嗅ぐ。自分で嗅いでみて、臭くないと断固言えない気がした。
「スーパーは食品が揃っているのに、こんな不潔人が来たら完全に迷惑だね」
「先に風呂に入るから平気だっ」
「お風呂入って、明日着ていく制服洗って、材料買いに行って、料理作って…一体、夕御飯食べられるのは何時間後だろうね?…さっきからお腹鳴ってるの聞こえるし。あー煩い、耳障り〜」
愁は忌々しそうに、自分の周りを回る明を見上げた。饒舌に語る明はさっきの落ち込んだ表情と違ってとても楽しそうに見え、伽夜は少し安心する。
気温は著しく低下し、澄んだ空は星が輝き出した。